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■ 昔の話・・つれづれと
 現在はコンピュータ関連の仕事をしている私ですが、なんでこんな職業についたのかな・・と最近思うことがあります。コンピューターは好きですが、趣味の範囲にしておいたほうが良かったのでは・・と思う今日この頃・・(2006/09/22)
1.私とコンピューターとの出会い
 私のコンピューターとの出会いは、NEC−Z80ボードにさかのぼる。当時まだパソコンもあまりなかった頃。18年ほど前だと思うが、一時期電子回路をくむことをおもしろいと思った私は(中学の技術の授業で電子回路を作成する実習を行ってから)よく近くの電気屋兼電子部品屋さんに行っていました。
 その当時マイコンボードとしてはNECのTK80と東芝のEX−80の2つのボードが主流だったと思う。Z80を搭載したマイコンボードは当時メモリもほとんどなく、マシン語のオーダーで入力するも何キロステップも打ち込めなかったと思う。

 しばらくして??電子部品を置いてあるコーナーにベーシックマスターや、アップル(何か忘れた)と沖??のコンピューターが置かれた。当時はなにもんじゃこりゃってな感じでまじまじと眺めるだけだった。最初にいじくり回したのは、ベーシックマスターだったと思う。しかし、なにをやっていたかは全くもってわすれてしまった。たぶん画面の色を変えたりしてキーボードをぱちぱちやっていたんだろう。しばらくはそんな状態が続いた。


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 しばらくして、MZ80、PC−8001がでて、NECのフューチャーインにパソコン教室ができるようになった。それからが私の関心が沸々とわき出てきたのである。当時のパソコンの雑誌といえばマイコン、アスキーと、I/Oである。その中でももっとも脚光を浴びていた??のはI/Oである。 PC−8001、MZ−80のゲームプログラムが目白押しで掲載されていたのである。
 しかしながら、まだコンピューターにまったく無知だった私はたしかベーシックマスターかなにかのプログラムをPC−8001に打ち込んで”動かん!動かん!”と悩んでいた記憶がある。

 まともに最初に打ち込んだのは、”宇宙戦艦大和ゲーム”または、”スターウォーズ”であったと思うがどちらが先だったかは忘れてしまった。しかし、プログラミングという意味での最初のプログラムは宇宙戦艦大和ゲームである。当時160x100??のグラフィックの空間の中でグラフィックを駆使して作ったこのプログラムに魅了され、改造に改造を重ねてBasicを覚えた。当時Basicの教本なるものはあまりなかったのでほとんどは感を頼りに解析していったのである。
2.外部記憶装置について
 それにしても当時は外部記憶装置が軟弱だった。まだ、PC−8001いじくり回した頃は、 フロッピーディスクなるものなんてなかったし、カセットテープだったのである。たしか600bps 位だったと思う。
 当時のユーザーエリアが10kbyteほどだったから、 10x1024x8/600=137秒 実際はベリファイとう含めると1個のプログラムを カセットテープに保存するのに10分15分は当たり前だったのである。しかも今のフロッピー ディスクのようにリードエラーが起こったからと言って「再試行」があるわけではない。

  その場で TheEnd! やり直しである。プログラムを打ち込んでもやっぱりセーブしなきゃ 次ができない。しかもマシン語込みでプログラミングした日にゃ実行する前にセーブしておかなきゃ 暴走すれば一環の終わりである。それこそ1時間2時間かけてマシン語を打ち込んで実行したが 最後どこへやらの状態である。もっとも、メモリ上からきれいさっぱりいなくなるわけではない 場合が多いのでまた、復旧すればよいのだが・・・

 しばらくしてから、外付けのフロッピーディスクドライブが1台だけ装備されたが、1台しかない上に 当時のフロッピーディスクの価格といったら今の100倍(ちょっと大げさかもしれないが)である。 システムディスク付きの2毎組で5000円位したのではなかったかと思う。それでも片面単密?の 128Kbyte。しかし当時としては超高級品。外づけディスクドライブも30万位したのでは なかったかと思う。今の10倍以上である。しかもI/Fボードは不細工にもケーブルの途中に ぶら下がり状態ででっかいのがついていたと記憶している。
3.マシン語プログラミング
 当時(15年ほど前)のパソコンでのプログラミングの基本は、なんと言ってもメモリを少なく効率よく。。。である。なにせメインメモリは今の1/1000しかないのである。N8−BASICでプログラムをしていると、誰でも必ず経験するのは、Out of memory. である。この無情なメッセージがでたら最後、プログラムをするより先にソースリストのダイエットを迫られるのである。その点では最初から効率の良いプログラムを作ると言うことで非常に良かったかもしれない。今のただ重いだけのプログラムも初心に戻って効率よく軽いプログラムを少しは心がけてほしいものである。(自分もそうだが)
 プログラムの出始めの頃は、Basic主体のものが多かったように思うが、そのうちプログラムの内容も充実してくるとどうしてもソースのダイエットだけでは耐えられなくなってくる。というよりは何よりも先に処理速度が遅いのである。そこで現れたのがマシン語+Basicの混在型である。これにより、かなり高度なプログラム(実際はゲームソフトがほとんど)が続々とでるようになった。そのころしきりにそういったプログラムを紹介していたのがI/Oという雑誌である。今日書店で久しぶりに見て感動してしまったが...

 そのころマシン語を打ち込むと言っても全くの16進数のキーボード入力である。マシン語入力用のソフトがいろいろ現れたものである。私も実際マシン語入力用のプログラムを作って自分で使っていた。実際はただ単にテンキーで入力し、チェックサムをみながら、入力する以外手だてはなかったのだが(^^) プログラマーやユーザーにとっては何とも地道な時代で、端から見れば異常な人々だったことだろうと思う。
4.プロッターとグラフィック
 プロッターと最初にご対面したのもフーチャーインであった。メーカーはうろ覚えだが、わたなべ測定器??とかいう会社ではなかったかと思うのだが・・・
今のプロッターと違い、ふつうの鉛筆や、ボールペンをアームに固定するタイプだったと記憶している。プリンターポートへの出力で出力フォーマットは今と同じような方法ではなかったかなー Mxxx,xxx 喜び勇んでカセットレーベルを作るプログラムを作ったが、いかんせんプロッターが漢字をサポートしていない。で・・・漢字をベクトルデーターに変換してプロット出力するようなプログラムを作って出していた。といってもたかだか16x16のフォントなので手直ししながら、データーを作成していたのです。

 このあいだ、そのデーターをドットインパクトプリンターに出力した長大なリストとプログラムが実家の本棚の後ろから発掘された。とともに、ドットインパクトプリンタ用の漢字出力用ビットマップデーターも・・・・よくやってたなこんなこと(−−)

 それにしても今思えばあのころが最高の環境だったのかもしれない。PC本体、FD、プリンター、プロッター。   おーー(^o^) そうそう忘れていたが、PCGというものがあった。

PCG(プログラマブルキャラクターグラフィック???)要するに今のコンピューターと違い、当時のPC8001は、基本的にグラフィック画面という物を持たない。テキストVRAMのなかの1キャラクターの属性としてグラフィックという物があったのだ。テキスト1行に対する属性情報のエリアがあってその中でグラフィック属性、色等の情報が入っていた。

 1キャラクターに対するグラフィックは、2x4のサイズがあり、そこに8bitの数値を書き込むことによってグラフィックを画面に表示していた。ちなみに色は1キャラクタ単位にしか設定できない。そこで登場したのがPCGである。基本的な考え方はあまり変わらないが、1キャラクタ単位あたりの解像度が上がっていた(4x8??忘れた)。かつビット単位での色指定ができたのではなかったかなー? 当時では、おどろきもものき。。画面のきれいさに驚いたものである。

5.クリーンコンピューター
 パソコンの2大勢力と言えばPC8001とMZ80であった。どちらが先でどちらの方が売れたかは、知らないが、私が使っていたのはPC8001のほうである。どちらが良いと言うこともない。簡単に言ってしまうと8001は、ROM型。。MZはRAM型とでもいおうか・・・
 PC8001は電源をいれると、BASICインタープリターが立ち上がる。それに対してMZは、IPLと基本部分以外はRAMである。長所短所と言えばBASICインタープリターを最初からROMとして持っている8001に比べてMZは起動後にインタープリターを読み込むため、メモリを有効活用?できると言うことになるのだろうか。。そのためか、MZ系のマシンには早くから他言語のインタープリターが発表されていたように思う。また、MZの場合、BASICを使用しない場合は、インタープリター読み込む必要がないため、ユーザーメモリを有効に活用することができる。
 逆に8001は、ROM型インタープリターのため、電源ポンですぐに利用できるという手軽さがある。

 しかし考えるに、8001の方のマシンはどちらかと言えばホビー。MZの方は、事務、研究用に開発されたのではないかという部分が随所にある。8001は、キーボードと音を鳴らす部分について同時にハードを制御することができるが、MZは音が鳴っている間は、実行の動作が止まってしまう。また、8001は当初からカラーを採用し、グラフィックができたが、MZは、MZ2000がでるまで、モノクロで、キャラクター表示だった。このことから考えると8001はホビーに重点をおいた仕様ではなかったかと思う。しかしどちらも当時、各雑誌でゲームソフトを毎月のように発表していたものである。 今と違い、ソースリストの公開で、自分自身でプログラムを打ち込まなければいけなかったが。(−−)
6.パソコンの2大勢力
 パソコンの2大勢力は、PC8001とMZ80といったが、これらの世の中がなんと長かったことか。。。PC8001が発売されて以来PC8801になるまでかなり長かったのではないかと思う。今の半年毎にころころ変わる時代とは大違い!しかし、、MZの方はそうではない。。MZ80Kとかなんとか。。もう型番は忘れてしまったがかなりの種類があったと思う。どこがどうちがっていたのかもう知るよしがないが(^^)。
 しかしなぜ、MZ80が立ち消えして、PC8xxxのシリーズが存在を勝ち得たのか。。それはやはりパソコンのハード環境ではないかと私は思う。PCが当初よりゲームプログラムを作りやすい環境だったのに比べて、前述したようにMZはゲームプログラムこそいっぱいでたが、グラフィック機能や、リアルタイムなキー入力の苦手さといったことからではないかとおもう。一番大きいと思ったのは、グラフィックをMZが長くサポートしなかったということではなかったかと思う。MZ2000Cがでるまで、グラフィックに関してはMZは無関心だったのである。頑固にもキャラクターベースのパソコンを守り続けた??のであった。

 これらの出足の遅れが後のX1、X1−turboにかんして割と良いコンピューターであったにも関わらず、X68000がでるまでぱっとしなかった要因ではないのかなー(別にメーカの悪口を言っているわけではありませんm(^^)m)しかし、、それにしても、そのずいぶん後のX68000−XVI。。私は買ったのだが、その後X68000シリーズはどこに行ってしまったのだろうか???
7.初めてのパソコン
 私が最初にパソコンを購入したのは、大学に入ってからである。高校時代は、親に承諾を得られなかった。今になって考えてみると、その時代、まだパソコンなどというもをいじる人間は、異端児だったのである。
 最初に買ったパソコンは、PC8801である。FDもモデムも、、もちろんマウスも付いていない、はだかんぼうのパソコンである。補助記憶装置は、オーディオカセットテープ。プリンターは、ドットインパクトプリンターであった。そして、プリンターは、漢字をサポートしていない。当時としてはそれでも、高級仕様のパソコンセットを買った。

 しかし、今でも心残りなのは、モニターである。8801の解像度は、640x200(8色カラー)/640x400(モノクロ)であった。それにも関わらず、モニタを640x400(8色カラー)を買ってしまったのである。当時としては、この差は大きい。値段にして倍近く差があるのだ。。全てひっくるめて、40万円ほどしたのではないか?? と記憶している。どちらにしても贅沢な代物で、なおかつ趣味以外の何物でもなかった。
8.ポケコンと私
 前回に続いて大学時代の話。当時もう一つはやったコンピューターのスタイルとして ポケコンがある。だいたいはシャープが主流だったように思うが、私は、PC1530(確か)を買った。たぶん今もどこかを探せばでてくることと思う。これは、よくいじった。しかし、補助記憶装置も何もつけていなかったポケコンで、プログラムを作ってもSaveもprintもない。。仕方が無く作ったプログラムは、レポート用紙に書き写すことをしていた。それでもA410ページほどしかメモリが無かった時代であったのでさほど苦にはならなかったが。。。(^^)
 大学時代、バイクで事故をして、1ヶ月半入院していたときなどは、色々なプログラムを作った。ボーリングゲームとか、麻雀ゲームとか・・etcetc1年ほど前にそのリストを書き写したレポート用紙がでてきて感動したものだ。

 それから、いく年かたつうちにポケコンも忘れ去られたが、最近再びモバイルコンピューターと名前を変えて世の中に登場してきたのがなんとも奇妙な感じである。さらに、最近のノートパソコンは、昔で言うところのラップトップ派と、ノート派にわかれてしのぎを削っているのも妙なかんじである。
9.アルバイト
 大学時代、入学当初にやったアルバイトがある。。何かよいアルバイトはないかな?と、アルバイトニュースで見つけたのが、デモンストレーターという仕事である。某メーカーのN○Cさんが募集していたのだが、コンピューター関係の販売に関するアルバイトである。
だいたいの電気店には、メーカーからヘルパーが派遣されていたりする。しかし、人数に制限があるため、デモンストレーターとしてアルバイトを派遣するのである。しかし、このときの募集人員は10名ほどであったが、実際に集まった人数は50人以上いた。。と思う。。そのせいか、筆記試験と面接が行われた。試験内容としてはCPUの知っているものをのべよとか、ROMとRAMの違いをのべよとか、、そんな問題だったと思う。運良く面接にもとおり、近郊の電気店10店舗ほどに派遣されることになったのである。

当時のパソコンとしては、PC6001mk2、FM7、パソピア...等がでていた頃である。電気店に派遣され、働いていた私であるが、デモンストレーターとしての派遣であるため、形式上は現金を扱えないと言うことで、もっぱら、製品の説明とコンピューターの一角の見張り役の様なものであった。しかし、派遣されたのは某メーカーさんなのでそのメーカーだけを宣伝すれば基本的には良いのであるが、お客さんにとってはそうもいってられない。結局は、ありとあらゆるメーカーのパソコンの仕様を覚えることになったのである。そのときのいろいろな勉強も、今の私にとって糧となったのかもしれない。
10.初めての仕事
 大学を卒業してから、某メーカーの関連会社でソフト開発をしていましたが、 最初にやったのは、なんだったっけかなぁ。。 たぶんBASICインタプリタの日本語対応の改造と検査だったと思う。 膨大な英文マニュアルと格闘しながら、 総アセンブラの膨大なリストをながめて、ため息をついたものだ。
 今はどうだか知らないが、アセンブラ言語のプログラムの場合、 バグを吸収するのに、リコンパイルを使わない場合も往々にしてある。 もともとある実行プログラムにパッチを当ててしまうものだ。 ほぼ完成されたプログラムには、もともとこの、パッチ領域というものが予約されていて、 バグなどを吸収する際に使用するのだ。。

 完成されてきたプログラムと入っても、パッチ自身の履歴も10や20ではない。。 これら全てのパッチリストと見比べながら、デバックしていくのである。
なんでリコンパイルで簡単にやってしまわないかというと、 リコンパイルすると、プログラムのおおもとの原型が崩れてしまうため、 どこを修正したかという履歴がわからなくなってしまうということと、 OEMで提供されているプログラムなどは、ソースリストがないからである。。 当時8086系のアセンブラ&マシン語で格闘した毎日。。 今では、とうてい考えられないでしょう。(普通のソフト屋では)
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 昔の話 目次 
1.私とコンピューターとの出会い
2.外部記憶装置について
3.マシン語プログラミング
4.プロッターとグラフィック
5.クリーンコンピューター
6.パソコンの2大勢力
7.初めてのパソコン
8.ポケコンと私
9.アルバイト
10.初めての仕事


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